激しい運動

人間の命が燃え上がる瞬間とは、自分の命を危険にさらした時である。
多くのクリエーターが命をかけて仕上げた作品に触れた私たちはその熱量に圧倒され、感動するのである。
また、古代より祭りが人々を魅了し、科学全盛の現代になっても未だに廃れる気配が見られないのは、時折祭りでは死者が出るからである。
命をそらして全力で自分を解放する姿に人々はカタルシスを感じるから、祭りに参加するのだ。
夏の甲子園も同様であるといえる。
技術力で言えば、プロ野球に遥かに及ばない高校生の球技に私たちが熱中するのは、彼らがその大会のために血汗を流し、肉体を損傷しながら練習をし、甲子園に出場してからも、相手チームに勝つためには今ここで死んでもいいというほどの気概を感じるからである。
連投し、痛み止めを注射を打って選手生命の危機と背中合わせになりながら、白球を放る投手に、セフレも居なく、あまりにも退屈な日常を送る私たちは半ば羨望を抱いているに違いない。
私たちが18禁動画に魅せられ、オナニーに夢中になるのも同様の理由があるのではないだろうか。
高分子化合物である人間の肉体は、そもそも再生不可能である。
同じ高分子化合物である衣服が、一度擦り切れたり、破れてしまったら元の姿には決して戻ることが無いように。
つまり、セックスという激しい肉体的運動によって命を死に向かって前進させているらいぶちゃっとの女優に私たちは共感し、同時に、自分もセックスに比べれば運動量は少ないが、摩擦という肉体を消耗する運動でこれもまた命を磨耗させる行為に快感を覚える、その同時進行のカタルシスに私たちは酔いしれているのである。

Filed under: 日記 — admin 2:47 PM  Comments (0)